今日の(というか今現在)の翻訳で世説新語の引用がでてきました。
世説新語とは、中国魏から東晋にかけて(220年~420年)の様々な名士の言行を集めたものです。
中には多分に虚構とみなされる部分を含みますが、そうとも断定できないようで、なにやら複雑げ。
著者は劉義慶。南宋高祖の甥にあたる人物です。
当時の知識人の人生哲学、考え、ありようが垣間見れて面白いです。
漫画でも出てます。
今回、たまたま翻訳テキストの中に下の文がでてきました。
嵆康与呂安善、毎一相思千里命駕。安后来、値康不在、喜出戸延之、不入題門上作 「鳳」字而去。喜不覚、猶以為欣、故作。「鳳」字、凡鳥也。
三国魏の嵆康と呂安は大変仲がよかった。呂安が親友の嵆康を訪れて不在だった時、兄の嵆喜が招き入れたが、呂安は入らず、ただ門の上に「鳳」と書いて帰ってしまった。嵆喜は、呂安が自らを鳳と称したと喜んだのだが、その実は「鳳」を分解した「凡鳥」、要するに凡人と嘲けられたにすぎなかった。
当ブログの名前の由来なっている故事です。
呂安はここでは、凡鳥を悪い意味で使ってますが、凡鳥(凡人)だってがんばれば鳳になれるんだというポジティブな意味で考えるのもありかもしれません。
まぁ鳳の正体が実は凡鳥だったり、鳳なのに自惚れて凡鳥にも劣るような存在に落ちぶれてしまう人が多いのが世の常ですが。